コラム

マニュアルは誰のためにある?

手順書は誰のために整備するのか。少量多品種の現場を七年見て分かったのは、作業中の現場は手順書を読まないこと、そして工程の抜けを全件照合する仕事が、いまは「できる人」一人に乗っているということでした。

エマルシア株式会社

新人が見逃したのは、手順書に載っていない項目だった

現場のベテランは、手順書に書かれていない確認を毎回しています。書かれていないので、新人には引き継がれません。

化粧品の工場で品質管理をしていたとき、これを何度も見ました。ベテランが充填後の容器を手に取って、少し傾ける。表面のしわを見ています。原料を練っている途中で手を止めて、色を見る。黒い点が混ざっていないかを見ています。練り込みの甘さも、見た目と手応えで分かる人には分かります。

手順書には、そのどれも書かれていません。

充填後の表面のしわ
原料に混ざった黒い点
練り込みの甘さ
どれも、手順書には載っていない

書かれていないのに、ベテランは見ています。だから不具合が出ません。同じ工程に新人が入ると、出ます。技術の差ではなく、見るべき場所を知っているかどうかの差です。

作業中に読まれているのは、記録欄だけ

手順書は、作業中にはほとんど読まれません。現場で実際に行動を決めているのは、記録欄のほうです。

記録欄は、埋めないと次に進めません。だから必ず見られます。手順書は、埋める必要がないので開かれません。同じ内容が両方に書いてあっても、現場が従うのは記録欄のほうだけです。

手を動かしながら文書を読むことは、そもそもできないからです。

手順書

  • 埋める必要がない
  • 作業中は開かれない
  • 厚くしても行動は変わらない

記録欄

  • 埋めないと次に進めない
  • 必ず見られる
  • 増やした分、注意がそこへ向く

そして記録欄は、増える一方です。不具合が出るたびに項目が足されます。増やす提案は、驚くほどすんなり通ります。増やすのは安全側に見えるからです。既にある項目を別の項目に置き換えようとすれば必ず議論になるのに、足すときには誰も止めません。

けれど現場の手数と、一回の作業に払える注意の総量は決まっています。足し算に見える変更が、現場では必ず引き算になっています。 押し出されるのは、記録欄に書かれていない確認のほうです。書かれた項目は、抜ければ欄が埋まらないので気づきます。書かれていない確認は、抜けても誰も気づきません。

少量多品種の現場では、ベテランも忘れる

毎日作る製品なら、書かれていない確認も体が覚えます。数か月に一度しか作らない製品では、覚えていられません。

大量生産の現場であれば、この話はここまで深刻になりません。同じものを繰り返し作るので、誰でも慣れます。慣れが、書かれていない部分を埋めてくれます。

中小企業の製造現場は、ほとんどが少量多品種です。この製品を前に作ったのは半年前、次に作るのはいつか分からない。そういう製品が何十種類も並びます。慣れという前提が、そもそも成立しません。

たまにしか来ない製品ほど、固有の勘所を持っています。この原料は温度が上がりやすい、この容器はしわが出やすい。毎日触っていれば忘れませんが、半年空けば落ちます。ベテランでも落ちます。

少量多品種の現場に、慣れは効かない。

たまにしか作らない製品ほど、その製品にしかない勘所を持っている

現場のために書いているつもりだった

偉そうに書いていますが、手順書を厚くしていたのは私です。

不具合が出るたびに項目を足し、そのたびに手順書を改訂しました。文書が整うほど、現場が守れるようになると思っていました。読み手は現場だと信じて疑いませんでした。

改訂した手順書を、現場が開いているかを確かめたことは一度もありません。

これは、書く相手を間違えていたという話です。作業中の現場には届かない。かといって、点検に使えるほど整理もされていない。現場向けのつもりで書いたせいで、どちらの役にも立たない文書になっていました。

手順書は、現場を離れて読む人のためにある

手順書が本当に要るのは、現場ではなく、テーブルの上です。

現場を離れて、いま工程がどう組まれているかを見る場面があります。過去に起きたトラブルを一件ずつ並べ、それぞれに対策が打たれているか、抜けはないかを照合する場面です。手を動かしながらはできません。このときに読まれる文書が、手順書です。

だから設計の順序が変わります。現場のやり方は、現場の工夫で変わっていきます。それは止めません。工夫が現場を回してきたからです。属人化した勘・段取りを、潰さず資産にするで書いたとおり、そこを潰すと会社の強さごと消えます。

止めない代わりに、変わったことが自動的に記録に残る形にします。いつ、誰が、何を、なぜ変えたか。禁じるのではなく、見えるようにする。

止めるのではなく、見えるようにする。

現場は工夫で変える。リーダーは抜けを見る

照合を、できる人一人に乗せない

テーブルで見るべきものは、二つあります。

一つは、記録にない変更です。現場で工夫としてやり方が変わったのに、どこにも残っていないもの。もう一つは、記録にあるのに動いていない工程です。手順としては存在するのに、実際には誰もやっていないもの。前者は見えない改善で、後者は形だけの対策です。どちらも、記録と現場を突き合わせないと出てきません。

この照合を、全製品、全工程、過去の全トラブルに対して行う。人間の手には余ります。何十種類の製品があり、それぞれに数年分の履歴があるからです。

それでも、いまは回っています。できる人が一人いて、その人の頭の中で照合されているからです。あの製品の対策は入っている、あの工程はもう誰もやっていない。全部を覚えている人が、必ず一人います。

その状態は強いように見えて、いちばん危うい形です。その人が抜けた瞬間、何が抜けているのかを誰も言えなくなります。品質を支えていたのが仕組みではなく記憶だったと、そのときに分かります。

できる人が支えている状態を、安定とは呼べない。

記憶で支えている品質は、その人が抜けた日に消える

ここは、AIが引き受けられる仕事だと考えています。トラブルの履歴と、工程の変更履歴と、実際の作業記録。この三つが機械の読める形で残っていれば、突き合わせて抜けを挙げることはできます。人より速く、漏れなく。

ただし、見つけるのはAI、決めるのは人です。抜けを直すのか、そのまま残すのか、残すならどういう理由で残すのか。そこは現場を知っている人が決めることで、代わりに決めさせるつもりはありません。製造業の品質管理(GMP)をITに持ち込むと、何が変わるのかに書いた変更・承認・記録のうち、AIが担えるのは記録を突き合わせる部分までです。

七年いた現場で、私は手順書を厚くしました。照合できる形には、していません。だからいま、お客様の現場では、誰がいつそれを読むのかを決めてから、何をどこに残すかを設計しています。全部を覚えている一人がいなくなっても、抜けだけは見えている。そこまで作れて初めて、次の一件が起きても慌てずに済みます。

よくあるご質問

手順書は現場に配らなくてよい、ということですか。
配る意味はあります。ただし用途が違います。手順書が読まれるのは、教育のとき、監査のとき、久しぶりの製品を立ち上げるときです。作業中に開かれることはありません。作業中の行動を変えたいなら、変えるべきは手順書ではなく記録欄です。私たちは、この二つを別のものとして設計します。
現場が勝手に手順を変えてしまうのは、問題ではないのですか。
現場が工夫でやり方を変えること自体は止めません。その工夫が現場を回してきたからです。問題になるのは、変えたことが誰にも見えない状態です。私たちが作るのは、変更を禁じる仕組みではなく、変更が自動的に記録に残る仕組みです。止めるのではなく、見えるようにします。
工程の点検をAIに任せると、品質の責任はどうなりますか。
責任は人にあります。AIがするのは、記録にない変更と、記録どおりに動いていない工程を見つけて知らせるところまでです。それを直すか残すか、直すならどう直すかは人が決めます。私たちは、AIが判断を代わりに下す設計にはしません。見つける速さと、決める重さは別のものだからです。
ベテランが見ている確認を、どうやって書き出すのですか。
作業を止めて聞くのではなく、作業を見ながら聞きます。手が止まった瞬間、覗き込んだ瞬間、少し戻した瞬間に、いま何を見たかを聞きます。本人にとっては当たり前すぎて、質問されるまで自覚がないことがほとんどです。二週間から一か月ほど現場に入って、この作業を続けます。
少量多品種の現場でも、標準化はできますか。
標準化を全製品の同一化だと考えると、うまくいきません。私たちが分けるのは、どの製品にも共通する部分と、その製品にしかない勘所です。共通部分だけを揃え、製品固有の確認は製品ごとに残します。全部を同じ形にそろえようとすると、たまにしか作らない製品の勘所が真っ先に消えます。

技術は真似できる
定着させるノウハウが、弊社の強みです。

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